年譜 (カヌーを始めた1996年から2002年まで)
 1996年 川の魅力に取り憑かれる
 この年大学に入学し、探検部に入部。6月くらいに木津川を下ったのがカヌー初体験でした。GUMOTEX社のヘリオスHeliosというぶよぶよのゴムボート(ダッキー)で下りましたが、全っ然まっすぐ進まないし、さほど面白いとは思いませんでした。ハマったきっかけは7月末に下った四万十川(江川崎〜渡川大橋)。とはいえパドリングにではなく、水中眼鏡で覗き込めば川底を這うゴリやアユカケが映る澄み切った清流、茜色の夕陽に照らされ川面に長い影を落とす沈下橋、テントの窓から覗けば夜空に煌びやかに瞬く満天の星空にハマったようなものです。
 <川下り日数>
 4日
 <初めて下った川>

 木津川、四万十川
 <戦績>
 なし 

 1997年 愛艇リンクスUと出会う
 三ヶ月間集中的にバイトしてAIRE社のリンクスUという現在なお最高級の評価を誇るダッキーを購入。ナラヨシ、仁淀川を下りました。その一方、NKC会長らとラフティングも始めました。初めて下ったのは北山川。しょっぱなのオトノリの瀬を下り終えたときにはもう、夢中になっていました。保津川で何度か練習して、6月にはリバベンに臨むも惨敗。さらに翌月には無謀にも四国三郎吉野川は大歩危・小歩危を下りました。怖かったですが、この川を自力で下るのが一つの目標になりました。ちなみに最近知ったのですが当時の流量は234t!(渇水時は約30t) 無知とは怖いと冷たい汗をかきました。
 <川下り日数>
 15日くらい
 <初めて下った川>
 北山川、保津川、利根川、吉野川、奈良吉野川、仁淀川
 <戦績>
 第21回リバベン 70位くらい

 1998年 初めての一人旅
 春休みに生まれて初めての一人旅を経験しました。行き先は四万十川。しかしなぜか土佐大正から江川崎までの上流部コースを選択(しかもシングルパドル)。もちろん誰にも出会いませんでした。キャンプ道具が満載されたザックをポリ袋に包み、スターンに縛り付けて下りました。日が傾くと川原に上陸してキャンプ。テントでの夜は、寒すぎたり、嵐に遭ったり、当時流行った小説『リング』『らせん』を読み「二艘の瀬」を下るときより怖くなったりでよく眠れませんでした。自炊生活でしたが、今までろくに料理をしたことがなく、味噌汁を作るには味噌だけでなくダシが必要と知ったのもこの時です。
 <川下り日数>
 23日
 <初めて下った川>
 錦川、球磨川、長良川
 <戦績>
 第22回リバベン 60位台後半
 第1回北山川ラフティング大会 3位

  1999年 雪見カヌー初体験
 初めて「雪見カヌー」をしました。場所は新潟は阿賀野川。「雪化粧の施された山々を背に雄大に流れる大河を下る」ことに憧れての行動です。しかし当時の装備はウェットスーツのみ。上からカッパ着て、凍みる手足にはポリ袋を巻きつけてみましたがまったく通用しませんでした。川には雪の塊がいくつも流れ、沈すれば溺死というより凍死しそうな感じ。もちろん、雪景色を堪能する余裕は皆無でして、ただの修行に終わりました。その後は院試に備え、ほぼ活動休止状態に入ります。その割には勉強しませんでしたが…。
 <川下り日数>
 9日
 <初めて下った川>
 阿賀野川
 <戦績>
 なし

 2000年 ラフティングガイドになる
 院試も無事終わり、春休みに仁淀川へツーリング。四万十の地酒「ダバダ火振」を飲みすぎて泥酔してしまい、なんと下る最中にパドルを流失するという事件が発生。両手で漕ぎ岸へ寄せ、川原で拾った竹の棒とザックから取り出したコッフェルのフタを組み合わせて何とか乗り切りました。4月には由良川へ行くも、最初の立岩の瀬で5mと下らないうちに沈して流され、親指の爪を剥がしてしまい、そのまま病院送りという事件もありました。夏休み期間は本格的にラフトガイドとして活動(レスキュー3も受講)。
 <川下り日数>
 52日(ラフティングガイドとしてのトリップを含む)
 <初めて下った川>
 日高川、由良川
 <戦績>
 第3回北山川ラフティング大会 8位

 2001年 ダッキーで小歩危を下る
 就活も何とか無事に終了。修論の文献収集しながら、この年の夏も徳島の旅館に住み込みしつつラフティングガイドとしてシーズンを過ごしました(RAJの資格も取得)。その間、先輩のtakumaさんとリンクスUにタンデムで小歩危にチャレンジ。曲戸の瀬は奈落で撃沈し、ホールに巻かれ、水を飲んで呼吸がおかしくなり、初めて心が折れるという経験をしました。その二日後、徳島に遊びに来たアズマックスや後輩1号らを乗せ、今度はラフトで下ったのですが、ちなみにこの頃はまさか結婚することになるなんて、思ってもいませんでした。
 <川下り日数>
 54日(ラフティングガイドとしてのトリップを含む)
 <初めて下った川>
 なし
 <戦績>
 第4回北山川ラフティング大会 7位

 2002年 リーマンパドラーになる
 この前年のGW、長良川を下った後スーツに着替えて新幹線で東京に向かい、真っ赤に日焼けした顔で最終面接に臨んだ会社に入社。研修場所が横浜だったおかげで、10月に大阪に戻るまでの半年間、関東甲信越の川を楽しめました。雪解け大増水の諏訪峡(利根川)で撃沈して流され、死ぬ思いをしたのを除いて、ですが…。10月には初めて長良川WWFに参加し、結果3位。レースに参加して以来、初めての入賞でした。相方takumaさんの力によるところがほとんどですが、おかげでレースの楽しさを味わえました。
 <川下り日数>
 29日
 <初めて下った川>
 五ヶ瀬川、川辺川、富士川、天竜川、荒川、気田川、多摩川、
 木曽川、熊野川、日置川
 <戦績>
 第9回長良川ホワイトウォーターフェスティバル 3位

  そして翌2003年1月13日にゴールデンレトリーバーの幼犬ラナを家族として迎え、菜の花が川原を黄色く染め出した時期「わんことカヌー」の生活が始まったのでした。
プロファイル
【誕生日】 2002年11月19日
【犬種】 ゴールデン・レトリーバー
【性別】 ♀
【職業】 カヌー犬(レベル20),ときどき山岳犬(レベル5)
【ひとこと】
 正式には、HACHIKO GRAY OF SHOMA MIKO JP(ハチコ グレイ オブ ショーマ ミコ ジェイピー)という、競走馬みたいな名前を持つ。血筋からいえば良家のお嬢様なのだが、2003年1月に私の許に来て以来、「カヌー犬」としての犬生を歩み始める。
 物心つく前からライフジャケットを着せられ、生後4ヶ月で早くも長良川を経験。生後5ヶ月には轟沈を初体験。以降もこのような見る人によっては虐待とも受け取られかねない経験を積み重ねながらも、川で出会う人たちに可愛がられて現在に至る。
 好きなモノは、水遊びと鳥のささみと人間。
 苦手なモノは、激しい瀬と孤独とわんこ、らしい。
Lana ラナ
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文書の作成日 2004年1月10日
文書の改訂日 2004年9月29日 ロールオーバー効果を追加
          2008年1月16日 年譜を追加
Lana's Papa ラナ父
【生年】 1977年
【血液型】 B型
【職業】 しがないサラリーマン
【ひとこと】
 大阪府枚方市育ちの週末パドラー。まるで何かに取り憑かれたかのように毎週末のようにラナと一緒にゴムカヌー(ダッキー)で川を下っている。
 中学、高校とバレーボール部だったが、何を血迷ったか、大学では探検部に入部。一回生の時に四万十川をファルトボートで下り、川下りに目覚める。とくに院生時代の2年間は、保津川、大歩危でラフティングガイドも務める。
 ちなみに、大学院での専門は14−15世紀のオスマントルコ史。修士論文は「初期オスマン朝の王位継承について −初期年代記を中心に−」。オスマントルコ語(アラビア文字)で書かれた文献や現代トルコ語の学術論文を毎日読んでいたのであるが、悲しい哉、会社ではまったく役に立っていない。
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